Association for Renovation of Hosei University 55' & 58' Buildings  
 
 

55/58年館の継承・再生を願う!文系学部卒業生の声

法匠会報NO.47 55/58年館特集と、掲載出来なかった文系学部の卒業生・出身者から、熱いメッセージを掲載いたします。

歴史と一緒に生きる方法がリノベーション
   仕事でパリにいます。古い建物をリノベーションしながら、町並みという文化を守って暮らすことを大切にしている街。何が大切か? 新しいことも大切ですが、継続する、文化を繋げて行く、変わるべきことと、変わらない方がいいことをきちんと分けて考えることが大切だと思っている街です。壊すことは簡単です。しかし、その中で、失う大切な物があるのです。今を生きることは、過去を引きずっていること。歴史と無関係に生きることはありえません。
 パリにいると、古い町並みの中にある歴史を感じます。この場所にこの国を作った人が立っていた! 店にある趣、サルトルがいた場所とか。ナポレオンがいた場所とか…。このカフェのこの椅子が指定席だった、あの画家だとか…。今を生きる人々と歴史が一緒に今を過ごす街。最先端って何ですか? 壊せばそれで最先端?いくらでも歴史を残しながら、今を生きることは出来るのですよ。いいこともわるいことも含めて、全部を背負って、法政はこれからも発展するはず。だからこそ、歴史と一緒に今と未来を生きましょうよ。
   
(匿名希望 文学部教育学科卒業 1980年代卒業)
 
新築を望まない学生もいる
     初めて55・58年館(以下5558)を見たのは2008年2月の入学試験時だったと思う。当時は多摩の学部に進学するつもりだったので市ヶ谷の施設については無頓着だったが、ボアソナード・タワー(以下BT)だけは大学案内等で紹介が多く、ちょっとした憧れを抱いていた。しかし、入試やその後の大学生活を通して、5558にはBTへのそれとは異なる感動と愛着を覚えたものである。
 まず、合理的な設計ながらも、各所に長い歴史や学生のパワーを感じ「俺は正に大学生になったんだ」と誇りに思った。というのも、現在は大学全入時代だが、現在約700ある日本の大学の多くが誕生する以前から5558は存在していて、それを後輩として引き継ぐ立場になり、正真正銘大学生になったのだと感じたのだ。また、在学中は他の校舎でも講義を受けたが、政治思想・哲学の講義を58年館の小教室で受けられたのは幸せなことだった。親より年上の先輩方もこうして難しい講義をこの教室で受け、考えたのだろうかと想像した。古典を学ぶには、他の校舎では明るすぎるのかどこか雰囲気が合わない。5558内は節電の影響もあって薄暗いが、窓が開くので風通しはいい。高層階や屋上で風を自由に感じ、ガラス越しでない外濠・靖国を眺められる場所も、5558以外では非常に限定される。
 基本的にただの講義棟のはずなのに、自主法政祭や新入生歓迎祭では課外活動の受け皿として、外濠校舎とはまた別の高性能を発揮する。校舎内を埋め尽くすビラはもちろん、窓文字も5558でなければ映えない。近年は学祭での机の取り外しよるコスト・ネジ強度を問題視されるが、小教室に関しては最初から非固定式にすれば済む話である。
 現在5558に関して私が耳にする不満は、大教室のクーラーが効きすぎて寒いこと、電源が限られること、全体的に小汚いこと(逆にこれを魅力と捉える人もいるが)が主である。素人ながら、どれも改修可能な問題ではないか。5558は法政のアイデンティティのもっとも重要なものの一つだと思う。私のように新築を望まない学生もいるのだ。大学には是非とも解体を再考してほしい。
   
(高橋昌浩 地方公務員 法政大学経済学部=通信教育課程3年次在籍 法政大学法学部2012年3月卒)
   
母親に似た温かさを受け取って
     実は希望していた大学に入れず、二浪し、辿り着いたのが法政大学だった。家族は超一流大学や国立大学出身の中、プレッシャーの毎日。自分の人生が計画通り、決められたスケジュールの通りに流れないことにより絶望を感じ、暗くて苦悩な毎日が続きて、何をするのもイヤだった。
 その当時はバブル期だったため他の大学は多摩の方へキャンパスを移し、東京の中心部から離れるところも多く、それらに行ってみると、キレイで近代的な印象を受けた。やっぱり新しいものは気持ちが良いものだ。それに比べて55/58年館は古く、ボロい…。でも東京のど真ん中で昔から変わらずそびえ立ち、逆に建物が旧いゆえの母親に似た温かさを55/58年館から受け取り、いにしえから続いている中の1人に加わっていると思い、人生にも前向きになれた。
 色々と人生思うことがあって結局は卒業しなかったが、人生に行き詰まったり悩む苦しむ度、僕は55/58年館を見に来る。そして、初対面でも55/58年館という同じ建物に通った思い出がある人達とは、共通した価値感のもと連帯感が生まれ、先輩や後輩と言う距離を超えた存在にも変化する。
 55/58年館が無くなれば、おそらくこうした感情は消えてしまうのかもしれない。古くから続いている、長くからあるからこそ、価値がある。学び舎が消えることで、この学び舎に関わっている思い出も一緒に消えてしまう。失ってから感じ喪失感…それは親を無くして感じる、空虚感に近いものを生まれるかもしれない。
   
(太田政克 会社代表 文学部地理学科出身 1991年入学 1998年中退)
   
黒いフレームの内側から
     外壁の黒いフレームが象徴的な校舎。私はその内側にいた。
 入学して間もないころ、55年館と58年館を通貫して、ところどころ太い柱のある長い廊下からぼんやりと外に目を向けた時に、初めて法政大学の住所「千代田区富士見」、そのいわれが分かった。私は富士山を望むことのできる大学に入学したんだと。そして、フレームの袂には、外堀の桜。しなやかに水面を染めていた。
 当時の窓枠の内側は、張り紙だらけで、お世辞にも綺麗とは言えなかったはず。しかしながら、眺めた外の景色だけが強調されて記憶に刻まれている。黒いフレームの美しさがなせる業かもしれない。
   
(依田素味 日本経済大学教授 社会学部応用経済学科1981年卒 金山ゼミ)
   
わがふるさとの最後の砦
     卒業後、取材などで何度も法政に通った。門を入り見上げる55/58年館に何とも言えない懐かしさを感じた。学館が解体され、新しい建物がニョキニョキと校庭を埋め尽くしても、それがあるだけで、ふるさとに帰ったような感覚を覚えた。
 多分に感傷的なのかも知れない。けれど、見慣れぬ建物が増えるごとに、大学の中の息苦しさが増したように感じる。キャンパスからタテカンが排除され、ビラも少なく小ぎれいな息苦しさ。後輩は「先輩たちがいたころの大学ではない。何の自由もないクソみたいな大学ですよ」とあえいだ。学生だけではない。大学が貸し出す教室を使った市民グループのメンバーは「使用料だけは立派で、あれするな、これするな、不自由な大学だ」と批判していた。
 要するにそういうことだ。55/58年館を解体して「クソ」みたいな大学が完成する。「クソ」でない法政が好きでした。
   
(東海林智 毎日新聞記者 法学部法律学科 1988年卒業)
   
重厚な歴史に映えるモダンな校舎
     戦争の時代に抵抗した哲学者、三木清や戸坂潤が教壇に立っていた大学、そして戦後はマルクス経済学のメッカとして有名に・・・。それが私にとっての法政大学。こうした歴史と伝統のイメージを抱き、初めて本校を訪れた日、近代的な姿の55/58年館は新鮮だった。正門を入ってすぐの小さい広場とも似合う建物に思えた。在学中は授業にほとんど出ずに好きな本を読み、仲間と議論し、諸活動とアルバイトに忙しい日々だったが、桜の季節、春夏秋冬、昼間も夜も、外濠と55/58年館は私の法政大学そのものだった。
   
(関根優司 小金井市議会議員 法学部政治学科 1978年入学 1983年中退)
     

 

 
   
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